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四境の役150年記念
芸州口の戦い
小瀬川口〜芸州大野・宮内
(吉田松陰の足跡と遊撃軍戦跡を訪ねて)

■総括広域図(松ケ原戦跡含む) ・四境の役要図
@小瀬・和木〜芸州木野・大竹
A芸州苦の坂〜小方間宿
B玖波宿〜大野    ・別にB松ケ原含む3D広域図
C大野〜宮内(一)
D大野〜宮内(二)

■その他 「芸州口の戦い付属史料(適宜追加予定)

付1:遊撃隊殉難関係者一覧
付2:幕末・芸州口の戦い関連年表
付3:吉田松陰と道
付4:長州軍の地雷火について
:新規追記2017.11.12
付5:河瀬安四郎・眞孝(石川小五郎)と河瀬 眞:新規追記2017.11.12


     
(注)来嶋又兵衛創建の
遊撃軍は禁門の変に壊滅的打撃を受け、
一時期解散状態となるが
河瀬安四郎はこの再建に尽力。
   藩府は一部の小隊を分離・改編し
遊撃隊として正式に再建するが、
隊士の間や巷では
遊撃軍として好んで呼称される。

以下の掲載図等は、四境の役150年遊撃軍慰霊祭の際、「芸州口の戦い」展示パネルとして作成したものです。
注1:文中適宜、遊撃軍・遊撃隊と標記します。「遊撃軍」・「遊撃隊」標記については特にこだわっていません。
注2:A4またはA3エクセルシートを画像変換しているので特殊フォントは一部変形・解像度が落ちます。印刷は85%程度の縮小印刷が推奨。
注3:A4・A3判のため文中記事欄スペースに限りがあり、追加・追記事項等を欄外に補記する事があります。
注4:街道ルート案内は、原則上方(広島側)からの記載となります。津和野街道は宮内村明石(明石峠)以西の峠村・津田方面除く。
注5:参考文献等は総括図参照。

四境の役芸州口の戦い150年遊撃軍慰霊祭(通化寺)はここからリンク


「小瀬川口緒戦・幕軍使番竹原七郎平渡渉」ストーンアート記念碑(JR大竹駅前ロータリー)


大和橋から竹原七郎平渡渉地点を見る
瀬田八幡山(瀬田八幡宮・台場跡)から大和橋・大竹・小方を見る


出師檄(小方 厳神社蔵) 出師檄読み下し文(厳神社蔵)



八坂・宮浜温泉二丁目付近から大野四十八坂・経小屋山を見る。       
経小屋山八合目付近から大野瀬戸・四十八坂を見る。


B松ケ原含む3D広域図





付1:遊撃隊殉難関係者一覧
        (元治元年京変戦関係者除く)

「防長維新関係者要覧」(田村哲雄 編)による。(一応、3回チェックしてます。)

                      遊撃隊殉難者要覧                 防長維新関係者要覧(田村哲夫 編)引用         
                             (元治元年京変戦関係者除く)                             2016.02:徒然草独歩
氏     名 場所 ○内訌戦  ●四境役  △鳥羽伏見  □戊辰  ●脱退騒動  *陣中病没  
1 相木岡四郎師純 伏見 高森農兵蔵兄 ・明治1.1.3伏見に戦死(25)
3 芥川五郎重義 芸州     熊毛郡大河内農和兵衛倅 ・明治1.閏4.25芸州出陣中に病死32)
4 安部作蔵 佐波郡串農安右衛門二男  ・明治3.4.18徳地に誅伐梟首(22) 
6 有田要輔利成 鳴川 遊撃隊伍長   ・豊浦郡神田農甚左衛門倅 ・慶応2.8.2芸州鳴川に戦死(45)
6 粟屋九朗泰信 (高森) 遊撃隊司令  八組士山介弟 ・慶應2.10・20高森に病死(22)
11 伊澄十郎 (高森) 肥後藩士・三番銃隊 ・慶應1.7.11病死          (注:高森に病死か)
12 市川十郎          ・明治3.5.6熊毛郡上関に誅伐梟首
14 井上勝之進 佐波郡串農与一郎三男  ・明治3.4.18徳地に誅伐梟首
15 井上三郎 徳地上村農虎之助二男竹之進  ・明治3.8.6三田尻に誅伐梟首(23)  
17 岩井友作 熊毛郡曾祢農清九郎倅       ・明治3.5.6上関に誅伐梟首(22)
17 岩佐三郎槌重敬 伏見      ・慶応1.7.21京都滞陣中に病死         
19 宇佐川熊蔵忠次 伏見 萩濁淵農   ・慶応1.1.3伏見に戦死(20) 
20 宇山卯作守貞 大野      美祢郡長田農文治三男   ・慶応2.6.19芸州大野に戦死(24)  
22 蓬島一介(おおしま) 書記補  ・宮市町人堀江孫八倅七之助 ・明治3.3.18萩大谷刑場斬首(27) 
25 岡 道助真政 柱野 地光隊  ・慶応2.6.1玖珂郡柱島に地雷火破裂し焼死(18)    (注:柱野)
27 岡本松右衛門義富 大野 .伍長 ・大島郡小松農富松二男   ・慶応2.6.25芸州大野に戦死(25)  
27 小崎禎補至義(尾崎) 柱野 地光隊長  ・長崎人 ・慶応2.6.1玖珂郡柱野に事故死(39)
29 香川 糺(僧 巌城) 響導  ・厚狭郡妻崎西方寺弟子  ・明治3.3.18萩大谷刑場に斬首(27) 
30 片山折蔵 奥州 人夫  ・熊毛郡呼坂農 ・明治1.12.25会津より帰国中一ノの谷に病死 
33 兼安松之助弘久 東京       熊毛郡呼坂農 ・明治1.11.19東京に病死
36 菊池十郎□則 大野     熊毛郡下久原農清一長男  ・慶応2.6.25芸州大野に戦死(18)
36 木田浅吉信高 大野     大島郡久賀農助次郎二男  ・慶応2.8.7芸州大野に戦死(24)
37 木下谷五郎知則 玖波     豊浦郡小月農橋本今蔵倅   ・慶応2.8.2芸州玖波に戦死(22)
喜助 柱野 地光隊小使 ・慶応2.6.1岩国柱野に地雷火破裂焼傷を受け高森病院護送中死  
義助 (大野) 大砲隊小使(籌勝院神霊碑刻)  ・下久原農    
39 国弘忠伍 斥候 ・八組士 ・慶応1.3  ・美祢郡大田戦後病死
40 蔵田十郎左衛門 芸州     長府人善右衛門弟  ・慶応3.7芸州口出陣後病死
41 桑原義之助政伸 砲隊司令 ・土佐楠島の人 ・慶応2.1山口病院に病死(25) 従五
42 河野知太郎友太郎 大砲隊 ・大津郡地吉地下医俊作二男 ・明治2.11.17俵山に誅伐梟首(22)
44 後藤深蔵正則或則正 伏見 参謀 土佐藩士、玖珂郡高森住   ・明治1.1.3伏見に戦死(26) 正五
45 小林真一郎一義 柱野 地光隊    ・慶応2.6.1玖珂郡柱野に地雷火破裂のため焼死(17)
45 小藤平蔵勝忠(小柴三郎兵衛) 高森 福岡藩卒平吉倅斥候 慶応1.5.12玖珂郡高森頓営中間諜の疑いを受け自殺(27)從五
48 佐久間佐輔佐助 玖波 銃隊補助長官 八組士  ・慶応2.9.28芸州玖波負傷後死
才吉 (大野) 遊撃隊付 維新団    (注:枩井神霊と同一人か)
49 佐田 誠 三田尻商人七右衛門倅  ・明治3.11.27脱退兵として斬首(22) 
54 新庄種吉 奥州 夫卒 ・熊毛郡宿井村農 ・明治1.9.15羽後仙北郡境村戦死
57 砂田佐吉 熊毛郡小国農    ・明治3.5.6熊毛郡上関に誅伐梟首(22)
57 角田又左衛門 大野 本陣小使 ・熊毛郡呼坂農 ・慶応2.6.25芸州四十八坂戦に敵に捕らえられ斬殺 
59 十川晋太郎 奥州 小隊長       ・明治1.10病死
60 高田熊四郎 玖珂郡中山農九兵衛倅 ・明治3.9.26柊長者原に誅伐梟首(31)
61 高本勝之進 大島郡久賀農三平三男  ・明治3 斬首(24)
63 田代三之進義孝政行 伏見 祢郡大嶺農清五郎三男  ・明治1.4.24伏見に負傷後山口病院に死(33)
65 田原寛助 芸州    萩浜崎町商人   ・慶応1.7芸州出陣後病死
65 玉田勝之進 佐波郡串農与一郎二男  ・明治3.4.18徳地に誅伐梟首(28)
66 田村常之助照 (小瀬)    佐波郡佐野農亀次郎倅 ・慶応2.9.18玖珂郡小瀬に病死(19)
69 徳永卯一郎 伏見 好義隊下関伊崎商人小倉屋勝三弟 ・慶応3.12山代粟生光明寺頓集中病死
71 永井平之進 書記  ・陸軍歩兵中佐  ・西南の役に戦死 従五
73 中谷国次 佐波郡串農忠五郎二男  ・明治3.4.18徳地に誅伐梟首
74 仲子守之助正俊盛之進 柱野 地光隊 ・慶応2.6.1玖珂郡*柱島に地雷火破裂のため焼死(18) (*注:柱野)
74 中村栄太郎 大野 大砲隊 ・萩安楽寺弟子常行の子 ・慶応2.8.25芸州芸州大野に火傷死
76 中村和輔或和介 吉敷郡氷上真光院臣 ・明治4.7.28萩大島に遠島中病死(23)
81 野村庄之進光次 大野     萩椿村青海清右衛門甥 ・慶応2.8.25芸州大野に戦死(26)
83 林十七五三(宮野政助) 本陣詰 ・吉敷郡宮野庄屋徳田亀太郎弟・明治3.8.2柊長者原に誅伐梟首(31)
85 原川金蔵保邦 伏見 美祢郡青景農政平兄 ・明治1.1.4山代伏見に戦死(20)
85 原田粂之進義固 伏見 佐波郡植松農 ・精兵隊響導  ・明治1.2.12山城伏見負傷後死(23)
86 平井豊之進  伏見 大和人      ・狙撃隊響導  ・明治1伏見に負傷後病死
(大野) 大砲隊小使
88 深水澄江(澄蔵) 佐波郡宮市西念寺弟子澄道  ・明治3.3.18萩大谷刑場に斬首
90 福原千代蔵 佐波郡串農謙吉二男      ・明治3.4.18徳地に誅伐梟首(21)
福松 (大野) 夫卒  ・室積農
90 藤井伊三郎正盛 (高森) 玖珂郡秋掛農    ・明治2.7.18玖珂郡高森陣営に病死(22)
91 藤井貞吉英勝 柱野 地光隊  ・慶応2.6.1岩国柱野に地雷火破裂焼傷を受け高森病院護送中死(23)  
91 藤井太一郎正義 大野 狙撃隊  ・佐波郡仁井令農武吉二男 ・慶応2.6.25芸州大野に戦死(29)
91 藤井忠吉道次 玖波 狙撃隊伍長  ・都濃郡末武中村農  ・芸州玖波負傷後死(22)
92 藤田村之進義冶 (高森) 玖珂郡久原農  ・明治2.5.10陣中に病死(26)  
久次郎 (大野) 遊撃隊夫卒か(ママ)   ・小周防村農
96 益田幾次郎義政 柱野 地光隊 ・慶応2.6.1岩国柱野に地雷火破裂のため焼死(30)          
97 松岡仙次郎      ・玖珂郡獺越農記二郎倅 ・明治3.4.24玖珂郡本郷に誅伐梟首
97 松田亀吉 大野 夫卒  ・熊毛郡室積農       ・慶応2.8.7芸州大野に戦死
99 松本勝三郎 毛利能登臣左右輔弟訥蔵      ・明治3.3.18萩大谷刑場に斬首(19)
99 松本近蔵 佐波郡串農良蔵倅          ・明治3.4.18徳地に誅伐梟首(22)
99 鞠生次郎(横田義太郎) 三田尻浜方農平吉弟         ・明治3.12.17三田尻浜方に誅伐梟首(26)
103 宮田半四郎師人(小川師人) 伏見 参謀兼隊長・久留米藩士 ・明治1.3.11伏見戦に負傷後三田尻病院に死(37) 正五
103 宮本多三郎則義 柱野 地光隊  ・玖珂郡柱野に地雷火破裂焼傷を受け高森護送中死(20) 
103 三吉八郎 三好 熊毛郡平生農新蔵倅   ・明治3.5.6熊毛郡上関に誅伐梟首(21)
104 村上清駒 吉敷郡氷上農清三郎倅 ・明治3.3.2柊長者原に誅伐梟首(25)
105 村田善助 熊毛郡平生農       ・明治3.5.6熊毛郡上関に誅伐梟首(24)
105 村橋栄蔵                 ・明治3.4.18佐波郡徳地に誅伐梟首(25)
105 村橋清十郎 芸州    御細工人半兵衛倅 ・明治2  ・芸州出陣後病死
106 毛利幾之進・親直(英国留学後、上野五郎) 遊激軍総督 ・陸軍幕僚参謀 ・明治10.5.18西南役、熊本県椿山戦死(26)
      慶応3年(1867)福原芳山、河瀬安四郎と共に藩命英国留学。明治5年帰国。明治7年(1874)病を理由に離籍上野五郎と改名。
108 森田榊之助 玖珂郡中山農 ・明治3脱退騒動の再挙を起こし誅伐さる(27)
108 森田忠助 玖珂郡本郷村農平八二男 ・明治3.4.24山代本郷引地峠に誅伐梟首
108 森永梅吉 大野 小使  ・熊毛郡宿井農  ・慶応2.10.6芸州大野に負傷後死
111 山下 翠貞政 伏見 熊毛郡河上農鹿之介兄  ・明治1.1.4山城伏見に戦死(22) 
113 山村清二郎 佐波郡串農         ・明治3.4.18佐波郡徳地に誅伐梟首(25)
114 山本栄吉 佐波郡串農弥吉二男   ・明治3.4.18佐波郡徳地に誅伐梟首(23) 
117 吉田四郎 佐波郡山畑農真之充倅  ・明治3.4.18佐波郡徳地に誅伐梟首 
120 和田百合熊 熊毛郡大野農常吉二男  ・明治3.5.6熊毛郡上関に誅伐梟首(21)
121 渡辺節三・拙蔵 響導 防府国分寺臣国本巌雄育 毛利筑前臣舟人 ・明治3.3.18萩大谷刑場に斬首(32)
総計89名内訳:○内訌戦:2名 ●四境役:34名 △鳥羽伏見:11名 □戊辰:6名 ●脱退騒動:33名 ・西南役:2名 ・他1名
注1:頁欄  は「防長維新関係者要覧」に記載がないが、「諸隊の雄遊激軍」(周東町教育委員会編)に記載のある者。
   これらは「喜助」を除き戦死場所未記載不詳のため、激戦地(大野)として掲載。
注2:地光隊小使喜助は両文献一覧に記載がないが、(廃)円月寺に神霊碑があることから柱野焼死地光隊士と同列記載。
   正面:「游撃軍地光隊小使喜助神靈」、陰面:「慶応二年丙寅爰六月朔於柱野驛」とある。
注3:小藤平蔵勝忠(小柴三郎兵衛)遊撃軍斥候父の病君見舞いに帰郷、帰隊僅かに遅れ間諜の疑いで受光寺で裁判、
     東河原に処刑(切腹)。通化寺に墓。その他扱い。
 *参考:同45頁に弟の小藤四郎勝定(藤村六郎)は「 明治1.1.20幕史に捕えられ江戸斬首(26) 從五」 とあるが、
       筑前浪士小藤四郎(長府報国隊士)は高杉晋作の命で筑前姫島流刑の野村望東尼を藤 四郎らと救出。
       慶応3年12月〜翌年1月の豊前日田事件(御許山騒動・花山院隊事件)により捕縛、馬関阿弥陀寺に斬首。
注4:土佐浪士新坂小太郎は、要覧に記載がないが脱退騒動で永牢舎。のちの推移不詳・未確認。一覧に未計上とした。
注5:元治元年京変戦関係者(氏名等省略 ・三家老勢及び浪士隊等除く :「諸隊の雄遊激軍」引用 )
   総督来嶋又兵衛政久以下68名戦死   
その他参考:円月寺向山の「藤原信良之墓」について
5 天野虎太郎 八組士舎人嫡子  干城隊  ・慶応2.3.20 訳あり萩亨徳寺に賜死
 注:天野虎太郎は長野・久田の給領主大組士天野嘉言と正室タキの嫡子信良。
   *円月寺向山の「藤原信良之墓」陰面墓誌:「元治三歳次丙寅三月二十日於萩死  同月晦日埋髪殯於此行年二十有三」 
   *奇兵隊日記(慶応二年正月17日): 舎人庶子天野寅之助他二名(二名略)、御不審之趣有之、親兄弟へ御預ケ被仰付置候処、 折柄令脱走、
                            今以行衛不相知就て、---(中略)---、万一潜伏等之様子相聞候節は、其趣早速政事堂へ届出候様被仰候事
                           別紙之通、山口会議処より申来候事
   *天野正世(勢輔)は嘉言と側室トキの嫡子。 正世(勢輔)は信良より6才年上異母兄。 ・明治29.8.11病没(59)
      長府功山寺墓地に從五位勳五等天野正世墓と母トキの墓


付2:幕末・芸州口の戦い関連年表


付3: 吉田松陰と道(「芸州口の戦い展」付属資料)


付:4 長州軍の地雷火

    前半部分は、「長州藩における瓦爾発尼機地雷火等火術の導入と展開」(桑原邦彦「山口県地方史研究 VOl98」を引用。


付:5  河瀬安四郎・眞孝(石川小五郎)と河瀬 眞

注:河瀬眞孝の英国留学帰朝日について
    ・「維新前履歴書」:明治4年6月帰朝
    ・河瀬眞孝回顧談(松菊公逸話・妻木忠太著)
               :明治4年7月15日帰朝
                   上記内容を補足して木戸孝允日記16日の條を紹介、
                 「河瀬安四郎昨日英国より帰朝、今日来て終日相談話、昨年の新聞書二冊を余に贈れり」とある。
                  公の推薦に因って、是月23日工部少輔に任官。
                「維新前履歴書」と乖離大きく、長崎着、或いは山口経由、また横浜港直接帰着か不詳。